なくもんか(T_T)

夕凪なくもの「公式」ブログです。 小説を書いたり、書かなかったり。 そんな毎日と、自著についてのお知らせを主にします。たまにおススメの本を紹介したりします。 TwitterのIDは@sazamekunami01です。こちらもどうぞよろしく。 AmazonのKindleストアで電子書籍(小説)多数販売中。月刊群雛にも多数の小説を寄稿。E★エブリスタでも時々小説を公開。「超・妄想コンテスト 水場の恐怖」準大賞受賞。人気ブログランキングに参加しています。現在がん闘病中。

タグ:がん

最近になって辛くなってきたのは、看護師さんたちの言う「処置」です。

どういうことをするかと言うと、寝たきりでミギーも激痛な僕の体を綺麗にすることです。
ですがそれ以外にもミッションを抱えています
そのミッションとは、生検でできた傷をボディソープでよく洗い流し、そこに軟膏を塗ることです。

これがまた泣けるほど染みます。
僕はベッドの上でのたうち回ってるのですが、看護師さんたちは誰一人何もしてくれません。
中には背中や腕をさすってくれる看護師さんもいますが、その他大勢は「痛みくらい自分で何とかしなさい」といったところでしょうか。

この苦行が毎日。
恐らく生検の傷の抜糸を終えるまで続きます。
もしかすると抜糸を終えても続くかもしれません。傷の具合がよくなければ。

本当に毎日が憂鬱で地獄です。
転移だけでももう死刑宣告に等しいというのに。
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面会時間をとうに過ぎたというのに、隣室から複数の子供たちと女性の叫ぶような声が聞こえます。

「お父さん頑張れ!」
「お父さんもうちょっと頑張るよ!」
「お父さん寝ちゃダメだよ!」

どうやら僕はとんでもない所に来たようです。

ここは生と死の狭間に位置する場所。
生きる者は笑顔でこの場所を後にし、死すべき者は冥界の暗闇に永遠に閉ざされる。

僕は絶対にここを出て行きたい。二度とこの場所には戻ってきたくない。

それにしても今何時だと思ってるんだろう。
病院の夜が短いことを、彼らは承知しているのだろうか。
未だに「頑張れ!」を大声で連呼してるけど。

僕もこの年にして、いろんな部位への転移が明らかになりました。
主治医が最初予言した通りです。
「⚪⚪さんのがんは目に見えないレベルで全身に広がっているため、いつどこで転移・再発が起きてもおかしくない」

ここまで言われても、僕は何故か現状が他人事のように思えてしまいます。
毎日の看護師による処置の激痛や、突然波のように押し寄せる右足の激痛に、日々「なんでこんなに痛い思いを僕だけがしなけりゃならないの?」と不思議に思うだけです。

つまり、今の僕には現実認識能力がなくなって、視野が狭くなっているのでしょう。
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毎日下らないギャグを書いたり、おちゃらけている場合ではありませんね。

人間、人生の中で上手くいっているときもあれば、痛いしっぺ返しを食らうこともあります。

昨日11月21日水曜日の夕方頃、僕は絶望の淵に立たされるような宣告を、主治医から告げられました。
そのショックのあまり昨日の日記を書けなかったほどです。

結論から言うと、がんの転移です。

激痛の走る右足にも転移していましたし、それ以外の部位にも転移していました。

本当に辛く悲しいです。
どうして自分がこんなに次から次へと困難に晒されるのか、全く意味が分かりません。

僕は本当に凡人で、何の取り柄もない普通の孤独な中年だと思ってたのに、病気の症状だけがやけにドラマチックで、そのギャップに目眩がしそうです。

もはやこれ以上闘う気力は僕に残っていません。
かといって自殺する勇気もない。

ヘタレです、僕は。
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今日は朝早くから看護師が病室に現れ、「⚪⚪さん、今日は午前中に処置しましょう」と。

((((;゜Д゜)))ええっ、処置って何やるんですか?

と尋ねたところ、パンツを変えたり、放射線治療でジュクジュクになった股を綺麗にしたり、軟膏を染み込ませたガーゼやパッドで患部を保護したり、あとは全身を濡れタオルで拭くことですよーと笑顔で返され、ここ数日悪代官から受けた仕打ちのため軽く人間不信になっていた僕に、爽やかな風を吹き込んでくれました。

ありがとう、新米看護師Nさん。

そして午前中にNさんが予告したことと全く同じことが行われ、午後はかなり暇になりました。
午後に昼寝をしていたところ、母が病室に入ってきて、色々差し入れやら洗濯物の交換などをしてくれて、しばらく母と談笑。

最近のブームは、不味い病院食の時間に母が下の売店で何かお弁当や惣菜を買って来て、それらと病院食の食べられる部分だけ食べるというものです。
だって病院食は僕には不味いんだもーん。

この食べ方は主治医のI先生のお墨付きも得ています。

で夕食の時間なって、母がかつ丼とハンバーグを買って来てくれました。

二人で食べながら、そう言えばI先生っていくつくらいなんだろうね、という話題に。
僕は比較的若くてアラフォーくらいじゃね?という推理をしていたのですが、母はアラフィフじゃない?との推理。

でもこの答えがいつも分からないんですよ。
僕がネットで必死に検索しても、どこにもI先生のプロフィールが出て来ないんです。
ネットや本では華々しく「K病院消化器内科の次期トップ!」みたいに書かれてるんですが、肝心の生年月日や経歴が出て来ない。

ところが今日、この食事の後、お膳を下げに来た新米のN看護師と少し話す機会があったんです。
Nさんが「⚪⚪さんはI先生に診てもらえて良かったですよね」と言ってくるので、僕がわざとすっとぼけて「そうなんですか?」と尋ね返すと、Nさんは必死になって「えーだって消化器内科のトップですよお」と食い下がる。
そこへ母が絶妙なタイミングで、「I先生はお若いんですの?」と少し話を変える。するとNさんはまんまと「まだ30代ですよ。すごくないですか」と語るに落ちました。

まあこの親子の連携プレイもさることながら、I先生がまだ30代だったことには心底驚かされました。

僕より年下じゃないですか。
そんな年下が、こちらを不安にさせるような言葉使いをしたり、タメ口を利いたりしてたとはねえ。

おっちゃんは少しショックでしたよ。

でもI先生の知識や技術は確かに凄いと認めますけどね。
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やっと書けますよ。
先週の金曜日にアテクシが受けた仕打ちをね。

そりゃもう酷いものでありんした。
アテクシ初めて「この病院には人の心を持たぬ悪代官がいる」と心底震え上がりました。

順を追って説明しましょう。
まず悪夢のような生検がようやく終わった頃でした。
これでようやくCT検査が受けられると、僕はむしろ喜んでさえいました。
だってCT検査なんて痛みなく体の中のがんを調べられる、素晴らしい機械じゃないですか。
造影剤の注射なんて可愛いものですよ。
地獄の生検に比べればはるかにましです。

で、正座してCT検査を待ってたんですが、いくら待てどもお呼びがかからない。そのうち持病の癌性疼痛から来る右足の激痛に襲われましてね。最初は「ちょうど検査する部位が痛み出した。検査はかどる~ラッキー」くらいに思ってたんですが、この痛みがとてつもなく痛い上に、何度頓服の点滴のボタンを押しても引かないくらい長い痛みでしてね。

うーうーベッドの上で苦しんでる最中にようやく検査の知らせが来たんです。そこからはどうやって検査室まで移動したか定かじゃないんですが、朦朧とした意識の中では若い女性看護師に若い男性看護師も混ざって移動式ベッドに載せてくれて、一人の女性看護師なんて僕の体をさすりながら「痛いねー。大丈夫だよ」と励ましながら移動式ベッドを押してくれる優しさ。

アテクシこの時は本当に感動して、この病院にも白衣の天使がいたんだあ、と真面目に病院への寄付を考えたほどでした。実際はそんな余裕ないけどね、テヘペロ。

で、CTの順番が来て優しい天使ともお別れ、男技師やドクターばかりの殺伐とした世界に放り込まれた訳ですが……「⚪⚪さん、この態勢は辛い?」突如技師だかドクターだかが、ようやく右向きにCTの台に上がったばかりのアテクシの両足をグイグイっと縦に伸ばして話しかけてくる。

当然激痛。

僕も「あいででで。痛いっす」と、どこかでお前そのセリフまんま言ってたぞ、的なデジャビュの香りを嗅ぎながら答えます。

「あ、そう。じゃあこれは?」男性、今度は少しだけ僕の両足を持ち上げる。
「あ、それなら何とか……でも痛いかな?」僕が応えると、男性は、
「じゃあこれで行ってみよう」と、突如拘束具のようなものでアテクシの両足をぐるぐる固定し出しました!
しかもその拘束の位置は最初の激痛を感じた場所よりも、はるかに高い位置!
はるかにはるかに高い位置で拘束拘束されたアテクシ、痛い痛いどころではないアルよ(分かってくれます?この僕の痛み)

これじゃまるで江戸時代の拷問じゃないですか。
僕も思わず、「いでぇえええええ。助けてくれえええ、お代官さまああああ。」的なことを現代風に叫んだのですが、お代官様は平然と、
「我々にも時間の制約があるんですよ。今日はCTはいっぱいなんです。それに⚪⚪さんはこの態勢が一番よく撮影できるのですから、我慢してください。斬」

最後に格好よく「斬」と決めたかは薄れゆく意識の中で、はっきりとは思い出せません。

しかしこの時僕は確実に、この病院には魔物が棲んでいると感じ、それがゆえに今まで語れなかった理由です。

嘘か本当か、信じる信じないはあなた次第。
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